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pixiv ショートノベルコンテスト結果発表

『姉がいなくなった翌日』

あの日もそうだった。
家族が一人出荷された翌日、エマもレイもノーマンも、勿論ぼくも、何も知らず、ただぽっかり空いた空白を寂しがり、しかし門出を祝福しながら平常に戻ろうとしていた。
淡々と、もう幾度も繰り返された行程を辿るように。

朝起きて、独りでは結べない靴紐をレイに結んでもらう。ノーマンにシャツのボタンの掛け違いを直してもらう。エマが食堂でラニオンとトーマにからかわれ、それを楽しそうに相手していて、ギルダがそれを仕方なさそうに見ている。重いスープをこともなげにドンが運んで来る。すごいなぁ。ぼくもあんな風に力持ちになりたいな。そしてママをいっぱい助けて、いっぱい喜んでもらうんだ。
そう、ぼくは思っていた。あの頃が懐かしい。そして、そんな風に何も考えずにのんきにしていた自分が、浅ましいと思う。
ぼくがママを助けられるようなことはなかった。ぼくはそれより前に、あの農園を脱獄したから。
それに、ぼくのスコアじゃ、十二歳を待たずに出荷される可能性の方が高い。
このGFハウスでの生活に、疑問を覚えなかった時点で、ぼくの等級は予測がついてしまう。

だって、考えたら変じゃないか。
どうして、門や柵の外に出ちゃいけないんだろう。門には近付いちゃいけないし、柵だってそうだ。
どうして、孤児院の外から誰もやって来ないんだろう。お客様の一人だって、ぼくは見たことが無いんだ。
学校、というところがあると、レイが教えてくれた。ぼくにはよく分からない本を、レイはいっぱい噛み砕いて教えてくれたけれど、でもつまり、噛み砕いて教えてくれるような人がいるところが、「先生」という存在がいるところが、学校なんでしょう。

毎日のテストが、学校の代わりなんだ、とぼくは、ぼくたちは、疑いもせずに信じて来た。実際、毎日のテストはとても厳しくて、難しくて、フルスコアなんてぼくには、夢のまた夢だった。ぼくのスコアは百九十に届かない。
「うーん、最近調子悪いのかな、ぼく」
ぼくの心の中の声が、口から出たのかと思うくらい、同じ言葉が、横の席から聞こえた。
フィルだ。
「フィルは……スコア、いくつだったの?」
「んっとね、今日は百九十七」
ぼくより高い。まだ四歳にもならないのに。ぼくより年下なのに。

そうやって、自分で自分を落ち込ませて、洗濯しながらため息つくのも、いつものこと。
(『最近』調子悪い、じゃないよなぁ……ぼくの場合は、『いつも』調子悪い、だ。フィルみたいに、スコアが伸びて行っている途中でつっかえた訳じゃない。ずーっと、頭打ちなんだ。これが、ぼくの限界なのかもしれないな)
テストのスコアが悪かったから、ぼくの課題は今日も多い。そして四十人近いきょうだいがいれば、洗濯物もまた多い。
「あれ、一人分足りない、かな?」
はたはたと風に揺れる白い白い布の群れ。シーツ、カーテン、テーブルクロス、ママのエプロン、シャツ、パンツ、スカート。
誰かの分が、一枚足りない。誰の分だろう……ぼくは洗濯物に眼を凝らして、あれはセディの、あれはハオの、と見当を付けて行く。
「あ、そっか。エルザが昨日行っちゃったから、なくなってるのか」
昨日、里親が見つかったからと、ママに連れられてハウスを出た姉、エルザ。これで、きょうだいが一人欠けた、その喪失。こうやって、コップがない、歯ブラシがない、食膳がない、洗濯物が足りない、遊ぶ人影が足りない、足りないことで、身に染みた。

幸せになっていると、思っていた。手紙を出すのを忘れるくらいに。
殺されていたなんて。食べられていたなんて。知りたくなかった。でも知るべきだった。
ぼくは、エマたちを恨んだりなんか、してないよ。

「どうしたの? お空、何かいるの?」
コニーが、泥んこのリトルバーニーを抱えて、シャツもスカートも泥んこになってぼくに聞いた。
「何もないよ。昨日エルザがハウスを出たから、洗濯物が少なくなったなって思ってただけだよ」
あと、そのどろんこの服は、リトルバーニーごと今洗濯しちゃった方が良いんじゃないかな。でもぬいぐるみの洗濯は、どうやってやったら良いんだろう。

そう、この時だって気付けたはずなんだ。どうして洗濯機がないんだろうって。テレビもラジオもない、でもぼくたちは知識だけは持っている。洗濯機、掃除機、エアコン、お風呂だってどうやって沸かしているのか、給湯器が本来あるはずなのに。薪ストーブ式のお風呂じゃあるまいし。ぼくたちは、お風呂でも食堂でも火を使っていない。でも、火を使わずにお湯を沸かせる給湯器があることを知っている。別にこの孤児院が、孤児院だと思っていたGFハウスが、機械を買えないほど貧乏だなんて思ってない。なのに、疑問にも思わずに、洗濯板をぼくたちはずっと使い続けていたんだ。
思うとしたら、精々「洗濯機があれば良いのに」くらい。無いことに疑問を覚えるのではなくて、現状を当たり前として受け入れた上で、さらに欲するだけ。

「あらあらコニー、そんなに泥だらけになって。着替えないとね」
ママがそう言ってコニーを連れていった。ぼくも、先に課題を片付けてしまいたくて、後に続く。
ぼくとコニーは年が近いけれど、ぼくの方が誕生日が後だし、少しだけスコアが、ぼくの方が良いみたい。だから、もしコニーが、着替え終わった後に課題をやるつもりなら、一緒にやりたいなと思った。

だからコニーの着替えを待つつもりでいたのだけれど、ママに、
「コニーは髪を洗わなきゃいけないから、まだしばらくかかるわ。先にお行きなさい」
と促されては、待つことは出来なかった。

もしかして、という話になるけれど、コニーはこの着替えやシャワーの際に、耳につけた発信器や体全体に異常がないか、チェックされたんじゃないかな。数ヶ月後、コニーは出荷された。食用児さとごとして。

天気の良い日で、図書室にはほとんど誰もいなかった。昨日出荷された姉は、あまり外に出たがらない人で、図書室に行けばだいたいいたから、この時もぼくは、
(行っちゃったんだなぁ……)
と寂しくなった。
ぼくは与えられた課題を机に広げ、その課題を解くために幾度か書棚を往復しながら、何とか半分を片付けた。 けれど、あと半分も残っている。ぼくだって鬼ごっこがしたい。外で遊びたい。
半分片付けるために費やした時間がこのくらいだから、もう半分を片付けるために費やすだろう時間がこのくらい……と、ぼくは計算をしていた。エルザがいてくれれば、この時間はもう少しは短くて済んだはずなんだけれど。 「どうした。宿題か? 遊ばないのか?」
そっと、ふわりと頭に手を置かれたのに、ぼくは「うわぁ!」と言いそうなくらいびっくりして、実際にぴょこんと椅子から跳ね上がってしまった。 「な、何だ、レイか……びっくりした」
「悪い悪い。で、宿題、まだ終わらないのか? 根詰めるときついぞ」
そういうレイは、少なくともぼくの覚えている限り、宿題を出されたことがない。いいなぁ、羨ましいなぁ。すごいなぁ。ぼくもそんなレイみたいになりたかったなぁ。
「残りは夜に回して、後は思いっ切り遊べ。夜にやる分は、俺が見てやるよ」
窓の外に眼をやれば、陽が大分傾いている。確かに、今遊びに行かなかったら、今日はもう遊ぶ時間が全然ない。
「良いの?」
「きっと頼めばノーマンも来てくれるよ」
片付けもやっておくから行きな、と顎で示されるけれど、そのしぐさに全然悪い気なんかしない。むしろぼくは嬉しくて、散らかしたままの机を振り返らずに、外に駆けて行った。

思えば、もしかすると、本当にもしかするとだけれど、レイは、コニーの次に出荷されるのが、スコア順に行くとぼくだったからという理由で、遊ばせてやろうと思ったのかもしれない。そんな意地悪なことも考えてしまう。でも、それでも良いと思っている。何故って、レイは、どう頑張ってもぼくたちきょうだいの、みんなの兄でしかないから。大好きな、大好きな兄でしか、ないんだ。

今日は掃除当番だったので、遊び足りないぼくは、掃除中にふざけて、珍しくドンに注意されたりしたけれど、最終的にはドンも一緒にふざけてしまって、ママにみんなでおとなしく叱られる羽目になった。みんな、ごめんね。
そんな記憶も、今はすごく、大事な宝物。なくしてはいけない、大事な大事な宝物。
だからずっとずっと、覚えておくんだ。


夕ご飯を食べて、お風呂に入って。レイは約束通り、ぼくの課題の残り半分を手伝うために、ノーマンを呼んで来てくれていた。課題をやりながら、ノーマンは時々、
「ここで……が……ってなる……んだけどなぁ」
と呟いていて、それをレイが、
「ノーマン、お前はつくづく天才だな」
と突っ込んでいた。多分、「ぼくが『分からない』と言っている」ことが、ノーマンには分からないんだろう。けれど、それを皮肉めいて言うのではなく、自分の力及ばないところと捉えるのが、ノーマンらしい。そしてノーマンのことだから、僕が完璧に理解出来るようになるための方策を、いくつもその頭の中で練り上げて行っているんだ。
案の定、課題が片付く頃にノーマンは、「きょうのまとめ」と称してそれをぼくに教えてくれた。自力で何とか頑張った課題前半の分も合わせて、ぼくの疑問が氷解するのを感じて、本当にノーマンはすごいや、と思った。そんなノーマンをレイは、特に何でもなさそうに見ていた。きっとノーマンがこういうことをするのは、ぼくに限った話じゃないんだろうな。

そんな風にぼくの一日は終わった。姉が一人、出荷された翌日の、喪失感と寂しさと、でもそれを塗り替えるほどの明日への希望に満ちた、何の心配も憂いもない穏やかな日。
その日を、レイはどんな気持ちで過ごしていたんだろう。自分の目の前で、家族が殺されるためにハウスを出て行くのを。自分の目の前で、ママが姉を殺すために連れ出すのを。そして何も知らないふりをして、自分がその姉を見殺しにしていたのを。

何も知らなくてごめんね、レイ。でも、これからは一緒だよ。もう十二歳を迎えたレイを、もう十二歳を迎えることが出来たレイを、ぼくは、ぼくたちは、もう絶対に、失うつもりなんかないんだ。
それは、エマも同じ。そして、……ぼくは、ノーマンだって、どこかで生きていて欲しいって、思っている。どうかどうか、生きていて。フィル、キャロル、みんな、必ず迎えに行くからね。

待っててね。

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