pixiv ショートノベルコンテスト結果発表
作者:アサギ
URL:https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=10727471
『夜明けを告げる声』
最初に部屋に入ってきた兄妹に、破壊装置を使う。
既に、レイはそう決めていた。
近い将来。少なくとも、エマとノーマンが 12歳になるまでの、3年以内に決行しなければならない、この農園からの“脱獄”。
その際、体内に埋め込まれた発信器を破壊し、ママの目を欺く必要がある。
ママのスパイとして働く代わりに、少しずつ集めてきた“報酬”を組み合わせ、試作品が完成したのが、昨日のこと。数年に渡る試行錯誤の末だった。
ドアの向こうから、賑やかな朝の喧騒が漏れ聞こえてくる。弾けるような話し声。廊下を走り回る足音。無邪気な笑い声。
(犠牲は避けられない)
それは、当然のことだ。
まだ未完成な部分もあるが、この試作品を試してみる価値は、十分にある。本番でしくじらないためにも、実験台は必要不可欠だ。
発信器を壊した時に、何が起こるのか、正確なことは分からない。だが恐らく、破壊されたその瞬間に、アラームが発動されるだろう。そして、ママはその子供を即時出荷するだろう。反逆の芽を、摘み取るために。それが例え、濡れ衣だとしても。
(全ては…)
エマとノーマンを生かすため。
瞼を閉じる。朝の光が遮断され、暗闇が満ちる。
そのためなら、俺は、なんだってやれる。
なんだって、やってやる。
「レイ、こんなところでなにしてるのー?」
ガチャリ、と無遠慮にドアが開かれた。
ショートカットの金髪を揺らし、腰に両手を当て、仁王立ちの少女。膨れっ面だが、目は笑っている。
「みんな、あなたのことを待ってるのよ?早く来て。朝ごはんにしましょうよ」
リンダ。レイよりも3つ歳上の、11歳。最年長の少女だった。
*
「ねぇねぇ、見て、この猫!レイにそっくりー!」
顔を上げると、目の前に猫の鼻面があった。
「近っ」
思わずのけ反ると、ふわふわな塊を胸に抱いて、ごめんごめん~とエマが笑う。
「今ね、あそこの木の下で見つけたの。ほら、ここの顔のところの模様がレイそっくりでしょ?」
「ちょっと目付きが悪いところもね」
隣で、ノーマンが口を挟む。
「はぁ?」
しかし、言われてみれば、顔を斜めに走る黒い模様は、レイの特徴的な髪型に似ていると言えなくもない。黄色い目は三角で、身体は小さいのに、そこはかとなくふてぶてしい。
「ふぅん。てゆーか、野良猫とか珍しくね?めったに見掛けないのに」
「ねっ。お母さんとはぐれちゃったのかなぁ?」
と、突然、猫が甲高い鳴き声とともに身をよじり、あっという間もなくエマの腕から飛び降りた。
矢のように走り去ろうとする。が、何かに躓いたように動きが止まる――。
「この子、怪我してるじゃない」
素早く抱き上げたのは、リンダだ。
「ほら、この後ろ足のところ」
言われるままに視線を落とせば、確かに、何かに引っ掛かれたような赤黒い傷が三本。かさぶたになりかけているが、痛々しく光っている。 「かわいそう」
くしゃくしゃに顔を歪めて、エマが猫の小さな額を撫でる。ごめんね、痛かったよね、と。まるで、その痛みを自分自身が感じているかのように。 エマは優しいなぁ、とノーマンが微笑む。
「ママに頼んで、手当てさせてもらいましょう」
リンダの言葉に、エマとノーマンが頷く。レイは、リンダの顔から目をそらした。
*
傷口を消毒して、包帯を巻き終わった頃には、猫はすっかりリンダになついていた。
ゴロゴロと喉を鳴らし、頭を彼女の足に擦り付けて甘えている。レイが手を伸ばすと、背中の毛を逆立てて逃げるので、えらい違いだ。
「傷が治るまでは、面倒見てもいいよね?ね、ママ、お願い!」
ママに「お願い」と手を合わせるリンダ。その横で、「私からも!」とエマが深々と頭を下げ、手を合わせる。
「仕方ないわね。その代わり、しっかりお世話するのよ?」
ふ、とママは優しく微笑んだ。
「うははっ、本当にレイそっくりじゃん!じゃあさ、名前はリトル・レイってことにしよーぜ!」とドン。
「いいねぇ、それ!」と、すぐさま手を打つエマ。
「リトル・バーニーのお友達だね」
うさぎのぬいぐるみをしっかりと抱き締めたコニーが、にっこりと笑う。
「は?勝手に決めんなよ」
レイが呟いた途端、リトル・レイがシャーッと威嚇した。
「同じレイでも、どうやら二人は相性最悪みたいだね」
ノーマンの言葉に、リンダが困ったなぁ、と肩をすくめる。
「ほらほら、ふたりとも、仲良くしなきゃダメですよー」
しかし、リトル・レイの黄色い両目は、レイをじっと睨んでいた。
お前の心は、知っているぞ。
そう言われているような気がして、いや、そんなはずはない、と軽く頭を振る。
「ぶっさいくな猫」
ひどーい、とエマが叫んだ。
*
風邪薬を使う。
このハウスには、睡眠薬の類いはないが、応急的な風邪薬ならいくらでもある。子供の手の届かない棚の上から瓶を取りだし、風邪を引いて鼻水を垂らしている子供に錠剤を飲ませているママの姿は、日常的な光景だ。
夕食の時、リンダの飲み物にそれを混ぜておく。完全な眠気を誘うには、風邪薬3錠程度で充分だという知識は、図書館で見つけた本から得た。
エマとギルダの間に挟まれて、笑顔を振り撒くリンダ。彼女がグラスに口をつけるのを見届けて、レイはほっと胸を撫で下ろす。
決行は、今夜だ。
*
音を立てないよう、細心の注意を払って、寝室のドアノブを押し開けると、兄妹たちの穏やかな寝息に包まれた。窓から差し込む月の光が、一人一人の幸せそうな寝顔を照らしている。
ポケットの中に右手を入れ、冷たい機械の感触を確かめる。
一歩進むごとに、床を擦るスリッパの音が、やけに大きく感じた。どくん、どくんと心臓が脈打つのを、全身に感じる。
緊張しているのか?いや、まさか。
生暖かい空気をすっと吸い込み、息をとめる。
リンダは枕に頬を押しつけて眠っていた。
流れる金髪が、闇の中でキラキラと輝いて見える。その隙間から、小さな丸い耳が覗いていた。
ためらうな。
ポケットからさっと右手を出し、耳に手を伸ばした瞬間だった。
「みゃあ」
はっと顔を向けると、ベッドの下から、黄色い瞳が二つ、こちらを凝視していた。
リトル・レイだった。
微動だにせず、ただただじっとこちらを睨んでいる。
金縛りにかかったかのように、動けなかった。一刻も早く発信器を壊し、この場を離れなければ。脳はそう命じるのに、動けない。
(リンダを殺すのか?)
リトル・レイの顔がぼやける。それは少しずつ、どこか見慣れたシルエットへと形を変えていく。
(仕方がないんだよ)
心の中で、言い返す。
(エマとノーマンを助けるためだ。全員で生き残るなんて、不可能なんだよ)
目の前の影が、大きく膨らむ。レイと寸分変わらぬ背丈。切れ長の黒い瞳。
(お前はお前自身を、決して許さない)
あ、と息をのんだ。
レイの目の前にいたのは、もう一人の自分だった――。
「レイ」
振り向く。
リンダが、レイの右腕を掴んでいた。
*
静まり返った食堂は、まるで色を失ったかのようだった。
リンダが椅子に腰掛ける。その様子を眺めるレイの頭の中を、いくつもの言い訳が浮かんでは通り過ぎ、消えていく。
「気づいてたよ」
リンダが呟く。その表情は、前髪に隠れて見えない。
グラスに混ぜた、風邪薬のことだ、と思った。リンダは、俺が彼女のグラスに細工したことに気づいていた。気づかれていた。油断していた。この期に及んで、俺は、なんという失態を……。
「このハウスは農園。私たちは、食料」
「はっ……?」
顔を上げたリンダの瞳に、涙が浮かんでいた。
「見つけたんだね。発信器を壊す方法。凄いなぁ、さすがはレイだ。何もできなかった」
弱々しく微笑む。
「何もできなかった私とは、大違いだよ」
「いつから」
いつから、気づいていたんだ。
声にならない問いに、リンダは首を横に振る。
「そんなことは、どうでもいいよ」
私に、その機械を使って、とリンダは言った。
「そして、どうか私のぶんまで生きてほしい」
「ばかじゃねーの!?俺は、あんたを殺そうとしたんだぞ。その相手に向かって、生きてほしいだって?ふざけんなよ……!」
「お姉ちゃんだから」
リンダは、今度こそ笑っていた。いつもと変わらない、優しい笑顔。
「私は、あなたのお姉ちゃんだから。それに、私は今までたくさんの兄妹たちを見殺しにしてきた。今、そのつけが回ってきたのよ。11歳。なにもしなくても、私はもうすぐ出荷される。それなら」
あなたたちの役に立って死にたい。
その言葉は、静まり返った部屋に凛と響いた。
*
「みんなに残念なお知らせがあるわ。昨夜、リンダが新しい家族に引き取られて行きました。急なことで寂しいけれど、みんな、リンダを祝福してあげてね」
次の日の朝、リンダが消えた。
そして、その日を境に、リトル・レイの姿を見たものは誰もいなかった。
*
木々が生い茂る暗い森の中を、ひらすら走る。
前を行くのは、エマ、そして兄妹たち。
振り返れば、遠く崖の向こう、真っ赤に燃え盛る炎が見える。
吹き上がる煙。灰となり、崩れていくグレイス=フィールドハウス。俺たちが育った家。
死ねなかった。いや、生かされたのだ。
俺は、エマに。こいつらに。切り捨て、見殺しにすると決めていた、こいつらに。
(全員で生き残るなんて、不可能だ)
そう思っていた。そう思うしかなかった。そうなんだ。俺は、諦めることで、自分の心と向き合うことから、逃げていたのだ。
(私のぶんまで、生きて)
もう遠くなった少女の面影。その笑顔が、その刹那、鮮やかに蘇る。
「にゃあん」
どこからか、小さな鳴き声が聞こえた。聞き覚えのある声だった。
声の主を確かめようとしたその時、子供たちの大きな歓声が沸き上がった。
薄紫色の空、厚い雲の間から輝く、オレンジ色の眩しい朝日。
言葉を失うほどの美しさだった。美しく、そして恐ろしいほど広大だった。光、闇。どこまでも、果てのない世界。
風が吹く。その冷たさを、俺たちは今、感じている。
「夜明けだ」
レイはそっと呟いた。
to be continued....
既に、レイはそう決めていた。
近い将来。少なくとも、エマとノーマンが 12歳になるまでの、3年以内に決行しなければならない、この農園からの“脱獄”。
その際、体内に埋め込まれた発信器を破壊し、ママの目を欺く必要がある。
ママのスパイとして働く代わりに、少しずつ集めてきた“報酬”を組み合わせ、試作品が完成したのが、昨日のこと。数年に渡る試行錯誤の末だった。
ドアの向こうから、賑やかな朝の喧騒が漏れ聞こえてくる。弾けるような話し声。廊下を走り回る足音。無邪気な笑い声。
(犠牲は避けられない)
それは、当然のことだ。
まだ未完成な部分もあるが、この試作品を試してみる価値は、十分にある。本番でしくじらないためにも、実験台は必要不可欠だ。
発信器を壊した時に、何が起こるのか、正確なことは分からない。だが恐らく、破壊されたその瞬間に、アラームが発動されるだろう。そして、ママはその子供を即時出荷するだろう。反逆の芽を、摘み取るために。それが例え、濡れ衣だとしても。
(全ては…)
エマとノーマンを生かすため。
瞼を閉じる。朝の光が遮断され、暗闇が満ちる。
そのためなら、俺は、なんだってやれる。
なんだって、やってやる。
「レイ、こんなところでなにしてるのー?」
ガチャリ、と無遠慮にドアが開かれた。
ショートカットの金髪を揺らし、腰に両手を当て、仁王立ちの少女。膨れっ面だが、目は笑っている。
「みんな、あなたのことを待ってるのよ?早く来て。朝ごはんにしましょうよ」
リンダ。レイよりも3つ歳上の、11歳。最年長の少女だった。
*
「ねぇねぇ、見て、この猫!レイにそっくりー!」
顔を上げると、目の前に猫の鼻面があった。
「近っ」
思わずのけ反ると、ふわふわな塊を胸に抱いて、ごめんごめん~とエマが笑う。
「今ね、あそこの木の下で見つけたの。ほら、ここの顔のところの模様がレイそっくりでしょ?」
「ちょっと目付きが悪いところもね」
隣で、ノーマンが口を挟む。
「はぁ?」
しかし、言われてみれば、顔を斜めに走る黒い模様は、レイの特徴的な髪型に似ていると言えなくもない。黄色い目は三角で、身体は小さいのに、そこはかとなくふてぶてしい。
「ふぅん。てゆーか、野良猫とか珍しくね?めったに見掛けないのに」
「ねっ。お母さんとはぐれちゃったのかなぁ?」
と、突然、猫が甲高い鳴き声とともに身をよじり、あっという間もなくエマの腕から飛び降りた。
矢のように走り去ろうとする。が、何かに躓いたように動きが止まる――。
「この子、怪我してるじゃない」
素早く抱き上げたのは、リンダだ。
「ほら、この後ろ足のところ」
言われるままに視線を落とせば、確かに、何かに引っ掛かれたような赤黒い傷が三本。かさぶたになりかけているが、痛々しく光っている。 「かわいそう」
くしゃくしゃに顔を歪めて、エマが猫の小さな額を撫でる。ごめんね、痛かったよね、と。まるで、その痛みを自分自身が感じているかのように。 エマは優しいなぁ、とノーマンが微笑む。
「ママに頼んで、手当てさせてもらいましょう」
リンダの言葉に、エマとノーマンが頷く。レイは、リンダの顔から目をそらした。
*
傷口を消毒して、包帯を巻き終わった頃には、猫はすっかりリンダになついていた。
ゴロゴロと喉を鳴らし、頭を彼女の足に擦り付けて甘えている。レイが手を伸ばすと、背中の毛を逆立てて逃げるので、えらい違いだ。
「傷が治るまでは、面倒見てもいいよね?ね、ママ、お願い!」
ママに「お願い」と手を合わせるリンダ。その横で、「私からも!」とエマが深々と頭を下げ、手を合わせる。
「仕方ないわね。その代わり、しっかりお世話するのよ?」
ふ、とママは優しく微笑んだ。
「うははっ、本当にレイそっくりじゃん!じゃあさ、名前はリトル・レイってことにしよーぜ!」とドン。
「いいねぇ、それ!」と、すぐさま手を打つエマ。
「リトル・バーニーのお友達だね」
うさぎのぬいぐるみをしっかりと抱き締めたコニーが、にっこりと笑う。
「は?勝手に決めんなよ」
レイが呟いた途端、リトル・レイがシャーッと威嚇した。
「同じレイでも、どうやら二人は相性最悪みたいだね」
ノーマンの言葉に、リンダが困ったなぁ、と肩をすくめる。
「ほらほら、ふたりとも、仲良くしなきゃダメですよー」
しかし、リトル・レイの黄色い両目は、レイをじっと睨んでいた。
お前の心は、知っているぞ。
そう言われているような気がして、いや、そんなはずはない、と軽く頭を振る。
「ぶっさいくな猫」
ひどーい、とエマが叫んだ。
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風邪薬を使う。
このハウスには、睡眠薬の類いはないが、応急的な風邪薬ならいくらでもある。子供の手の届かない棚の上から瓶を取りだし、風邪を引いて鼻水を垂らしている子供に錠剤を飲ませているママの姿は、日常的な光景だ。
夕食の時、リンダの飲み物にそれを混ぜておく。完全な眠気を誘うには、風邪薬3錠程度で充分だという知識は、図書館で見つけた本から得た。
エマとギルダの間に挟まれて、笑顔を振り撒くリンダ。彼女がグラスに口をつけるのを見届けて、レイはほっと胸を撫で下ろす。
決行は、今夜だ。
*
音を立てないよう、細心の注意を払って、寝室のドアノブを押し開けると、兄妹たちの穏やかな寝息に包まれた。窓から差し込む月の光が、一人一人の幸せそうな寝顔を照らしている。
ポケットの中に右手を入れ、冷たい機械の感触を確かめる。
一歩進むごとに、床を擦るスリッパの音が、やけに大きく感じた。どくん、どくんと心臓が脈打つのを、全身に感じる。
緊張しているのか?いや、まさか。
生暖かい空気をすっと吸い込み、息をとめる。
リンダは枕に頬を押しつけて眠っていた。
流れる金髪が、闇の中でキラキラと輝いて見える。その隙間から、小さな丸い耳が覗いていた。
ためらうな。
ポケットからさっと右手を出し、耳に手を伸ばした瞬間だった。
「みゃあ」
はっと顔を向けると、ベッドの下から、黄色い瞳が二つ、こちらを凝視していた。
リトル・レイだった。
微動だにせず、ただただじっとこちらを睨んでいる。
金縛りにかかったかのように、動けなかった。一刻も早く発信器を壊し、この場を離れなければ。脳はそう命じるのに、動けない。
(リンダを殺すのか?)
リトル・レイの顔がぼやける。それは少しずつ、どこか見慣れたシルエットへと形を変えていく。
(仕方がないんだよ)
心の中で、言い返す。
(エマとノーマンを助けるためだ。全員で生き残るなんて、不可能なんだよ)
目の前の影が、大きく膨らむ。レイと寸分変わらぬ背丈。切れ長の黒い瞳。
(お前はお前自身を、決して許さない)
あ、と息をのんだ。
レイの目の前にいたのは、もう一人の自分だった――。
「レイ」
振り向く。
リンダが、レイの右腕を掴んでいた。
*
静まり返った食堂は、まるで色を失ったかのようだった。
リンダが椅子に腰掛ける。その様子を眺めるレイの頭の中を、いくつもの言い訳が浮かんでは通り過ぎ、消えていく。
「気づいてたよ」
リンダが呟く。その表情は、前髪に隠れて見えない。
グラスに混ぜた、風邪薬のことだ、と思った。リンダは、俺が彼女のグラスに細工したことに気づいていた。気づかれていた。油断していた。この期に及んで、俺は、なんという失態を……。
「このハウスは農園。私たちは、食料」
「はっ……?」
顔を上げたリンダの瞳に、涙が浮かんでいた。
「見つけたんだね。発信器を壊す方法。凄いなぁ、さすがはレイだ。何もできなかった」
弱々しく微笑む。
「何もできなかった私とは、大違いだよ」
「いつから」
いつから、気づいていたんだ。
声にならない問いに、リンダは首を横に振る。
「そんなことは、どうでもいいよ」
私に、その機械を使って、とリンダは言った。
「そして、どうか私のぶんまで生きてほしい」
「ばかじゃねーの!?俺は、あんたを殺そうとしたんだぞ。その相手に向かって、生きてほしいだって?ふざけんなよ……!」
「お姉ちゃんだから」
リンダは、今度こそ笑っていた。いつもと変わらない、優しい笑顔。
「私は、あなたのお姉ちゃんだから。それに、私は今までたくさんの兄妹たちを見殺しにしてきた。今、そのつけが回ってきたのよ。11歳。なにもしなくても、私はもうすぐ出荷される。それなら」
あなたたちの役に立って死にたい。
その言葉は、静まり返った部屋に凛と響いた。
*
「みんなに残念なお知らせがあるわ。昨夜、リンダが新しい家族に引き取られて行きました。急なことで寂しいけれど、みんな、リンダを祝福してあげてね」
次の日の朝、リンダが消えた。
そして、その日を境に、リトル・レイの姿を見たものは誰もいなかった。
*
木々が生い茂る暗い森の中を、ひらすら走る。
前を行くのは、エマ、そして兄妹たち。
振り返れば、遠く崖の向こう、真っ赤に燃え盛る炎が見える。
吹き上がる煙。灰となり、崩れていくグレイス=フィールドハウス。俺たちが育った家。
死ねなかった。いや、生かされたのだ。
俺は、エマに。こいつらに。切り捨て、見殺しにすると決めていた、こいつらに。
(全員で生き残るなんて、不可能だ)
そう思っていた。そう思うしかなかった。そうなんだ。俺は、諦めることで、自分の心と向き合うことから、逃げていたのだ。
(私のぶんまで、生きて)
もう遠くなった少女の面影。その笑顔が、その刹那、鮮やかに蘇る。
「にゃあん」
どこからか、小さな鳴き声が聞こえた。聞き覚えのある声だった。
声の主を確かめようとしたその時、子供たちの大きな歓声が沸き上がった。
薄紫色の空、厚い雲の間から輝く、オレンジ色の眩しい朝日。
言葉を失うほどの美しさだった。美しく、そして恐ろしいほど広大だった。光、闇。どこまでも、果てのない世界。
風が吹く。その冷たさを、俺たちは今、感じている。
「夜明けだ」
レイはそっと呟いた。
to be continued....