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pixiv ショートノベルコンテスト結果発表

『ギルダの眼鏡』

何時からかは分からない。もしかしたら生まれつきの可能性もある。常に眼鏡をかけるようになった妹の視力が、何歳頃から低下していたのかについて、最年長の三人の認識はその位しかない。
少なくとも六年前には眼鏡をかけていなかった。一方で、眠たそうに半分近く閉じた目ばかりしていた印象が残っている。アレは見えづらくて細めていたのだと、今なら理解出来る。
当時は、周りの兄弟達も自身と同じ位に見えていると信じていた。目が悪くなるとどうなるのか想像もしていなかった。何故なら飛んでいる数羽の鳥や、少し離れた所に咲く数輪の花の話を振っても、彼女は時間がかかろうと正確に返していた。大人しかった、のもあり、時間をかける事にも疑問を抱かなかったのだ。
故に・・・

「ギルダ」

最初に気付いたのは、グレイス=フィールドハウス唯一の大人であり、皆から【ママ】と慕われるイザベラだった。彼女は学校の代わりとして、日々子ども達に受けさせているテストの結果からその可能性に行き着いた。正解率は高いのに、制限時間内の解答率が低い。年齢が上がり問題がより複雑になった頃から、たった一人だけに見られる現象を見落とす彼女ではない。
その日のテストを終えて、外で元気よく遊ぶ子ども達の中から、目的の少女・ギルダを呼ぶ。耳下辺りで切り揃えた髪が揺れ、こういう顔なのだと思っていた、眠そうな眼差しが此方へ向けられる。

「なぁに?ママ」

白いスカートを風に遊ばせながら、同じ年の兄弟達よりもゆったりとした足取りで近付いていく・・にも関わらず、途中で草に隠れた小石に躓いて転びそうになる。ほんの一瞬だけイザベラを強張らせるも、彼女の中の冷静な部分が、やはりと確信を得る。

「彼処に居るの、誰か分かる?」
傍らまで来たギルダに合わせて屈むと、健全な視力なら難なく顔が判別出来る距離に居る、後の最年長の一人・エマを指差す。鬼ごっこをしていて逃げている最中なのか、一人立ち止まって後ろを振り返っている。夕日の様な明るい髪色で直ぐに当てられるかと思いきや、生憎と雲の影に入ってしまい、それすらも分からなくなっていた。

「えっと・・あの・・」

案の定、益々目を細めるギルダ。しかしそれでも誰なのか言葉に出来ない。大好きなママの問いに答えられないばかりか、血の繋りはなくても共に暮らしている大切な兄弟を直ぐに言い当てられなくて、悲しくなっていく。

「ママー!ギルダー!見ててー!私今日こそ最後まで残って見せるからー!」
「っ・・エマ!うん、見てる!見てるよー!」

とうとう涙が溢れそうになったところで、エマが両手を大きく振りながらイザベラとギルダに向けて声を張り上げた。
ギルダは急いで袖で目元を拭うと、同じ位の声を出して答えた。一つ違いの姉にこんな状態を知られたら、心配をかける上にショックを与えてしまうかもしれない。

『ギルダに分かってもらえなかったー!』

大袈裟に嘆いて、暗くなる様子がありありと思い浮かんだ。あの姉に、それは正直似合わない。見ている方まで明るくなれる、そんな笑顔の方が合っている。ギルダはそう考えていた。

「ギルダ、ちょっと一緒に来てくれる?」

その後、鬼役が来てエマが走り出すのを見送ると、イザベラはそう言ってギルダを医務室へと連れていった。
そして視力検査を行い、彼女用の眼鏡を作る運びとなった。

「っ・・凄い・・凄い!何もかもはっきり見える!近くも!遠くも!」
「そう、良かった。だけどもっと早く気付いてあげるべきだったわ、ごめんなさいね、ギルダ」
「ううん!私、今までの見え方が普通だと思っていたし、食事とか大丈夫だったから気にならなかったの!」
「でも、お勉強に支障が出ていたでしょう?」

初めて眼鏡をかけた日、曇った窓越しに見る景色と変わらなかった視界が一変した。殆んど無意識に目を細めなくても物がくっきりと見える。ママの顔がよく映る。今までは悪い魔法にかけられていて、ママと眼鏡のおかげでそれが解けたのだと言いたい程だった。

「うん、少しだけ。でももう眼鏡があるから大丈夫!」
「ふふっ、そうみたいね」
「ありがとう、ママ!」

その時、ギルダがイザベラに対して抱いた感謝の気持ちも向けた笑顔も本物だった。
しかし、イザベラが彼女に対して見せたモノは違う。ハウスの秘密が隠されていた間は、大切な子どもがこれ以上視力を落とさないように、という親心で済む話だった。全てを知ってしまった現在では、大事な商品の質を落とさない為の労力だった、とギルダには思えてしまう。

同時に、共に脱獄を計画している面子には口が割けても言えないけれども、本当にギルダの事を想っていた部分もあったのかもしれない、とも思えた。成績が悪くなかったからより良く育ててから出荷しようとしていた、と言われればそこまでだけれども、決して外へ逃げられない身体にされていたイザベラなりに、一日でも長くギルダを生かそうと考えた結果が、眼鏡による視力矯正とそれに伴う成績の回復なのかもしれない。
もしもイザベラがギルダを二の次三の次としか見ていなかったら、彼女の成績は視力と共に下がり続けていた。そして六歳になるなり出荷され、鬼に喰われていただろう。十歳になど到底なれやしなかった。

(だから、かな。ママの事、酷いとか怖いとかは思うけど・・・憎みきれない)


最年長達にハウスの真実を告げられ、脱獄に向けた準備を進める中、ギルダはこうして記憶を振り返りつつ、自身の眼鏡を拭く機会が増えた。埃等で汚れていようと、いなくても兎に角納得出来るまで拭き続ける。
眼鏡をからかわれて泣いた夜、慰めてくれたのもイザベラだった。下の兄弟達がふざけすぎて眼鏡を壊した時は、エマが眼鏡の代わりをしてくれた。等々抱えている思い出が尽きる事はない。

「なぁ、そんなに汚れるものなのか、眼鏡って」

一度だけ同じ年の兄弟・ドンに尋ねられた事があった。

「ううん、普段は気にならない程度しか付かないよ」
「じゃあ、何で」

「・・・もう二度と曇った視界で物事を見ないようにしたいの」

偽りだらけの世界の中で、僅かな真実を見落とさないように。見極められるように。ギルダの眼鏡は今日も彼女と共にある。

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