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pixiv ショートノベルコンテスト結果発表

『三つ編みと楽園』

「アンナ!鬼ごっこしようよ!今日こそはノーマンをぎゃふんと言わせてやるの!」
「ぎゃふんって、エマ……」
 恒例のテストが終わった後、アンナは元気いっぱいのエマに鬼ごっこに誘われてハウスの外へと出る。薄暗いハウスから外に出た途端、新緑の季節の空と草木の匂いが眩しい。
 アンナはエマほど鬼ごっこに情熱を持っていないけれど、春の空気で胸を満たすとこれから思いっきり走ることにワクワクを感じた。脚を動かす度に自慢のおさげが背中を軽くたたき、気持ちを盛り上げる。
 日差しの下で息をすると、さっきまでテストで極度に集中をしていた脳がほぐれていくようだ。

「あら、珍しい。レイがコニーと遊んでいる!」
 発射3秒前!のようだったエマがピタリと動きを止めて、ハウスの横に生えている欅の根本を指さした。
 確かに珍しい光景だった。
 レイは優秀ではあるけれど、少し気難しくて、何を考えているのかよく分からない。あまり遊びには加わらず、お気に入りのこの欅の下で本を読んでいることが多い。ほうきを逆さにしたような枝の先には淡い芽吹きが覗いている。暑くなるころには葉が茂って心地よい木陰を作る。
 コニーとレイは仲が悪いわけではないけれど、あまり絡みはない。レイは小さい子にそれほど興味を向けないし、少しおっとりしているコニーは世話焼きのドンやエマに甘えていることが多いからだ。

「へー、レイ、コニーに勉強教えていたんだ」
 エマとアンナが近づくと2人の間の地面には木の枝で三角や四角やらの図形が描かれていた。コニーが補助線を引いてはレイにダメ出しをされている痕が伺える。
「あのね、6歳の誕生日プレゼントに教えてもらっているんだ。えへへ」
 コニーがパッと顔を上げ、下がり気味の眉をさらに下げて笑う。脇に抱えていたリトルバニーもコニーの動きにつられて耳をユラユラ。
「それが誕生日プレゼント?変なの。でもレイらしいか。良かったね、コニー」
コニーとリトルバニーを撫でながらエマが言うとコニーがますます笑う。
「レイ、教えてくれてありがとう。でも、もう疲れちゃった。ママにも教わった後だし。ねぇ、そろそろ鬼ごっこしようよ!」
「こら、もう1つくらい解いていけって」
 レイが抗議するけれど、コニーはもう腰を上げてしまってピョンピョン。再び図形問題に取り組む気はなさそうだ。
「レイ、残りの『プレゼント』は一緒に鬼ごっこにしてよ!」
 コニーがレイの腕を引っ張るとレイは観念して腰を上げた。

「お、今日はレイもやるの?嬉しいなぁ」
 ニコニコのノーマンにレイは早々と勝利宣言をする。
「コニーの誕生日プレゼントに、お前の連勝ストップをくれてやる!」
 それではスタート!

 アンナは走るのがそんなに得意じゃないし、好きでもない。でも、ハウスのみんなでやる鬼ごっこは楽しい。鳥が囀るうららかな春の森でやるのならばなおさらだ。
 おさげをはためかせ若葉が芽吹き始めた森を駆ける。白い制服にまだらの影。ノーマンから最後まで逃げ切るのは無理だろうけれど、それでもあっさりつかまってしまうわけにはいかない。
 しばらくすると遠くの方で年少の子達の嬌声が響き始めた。ノーマンは順調に鬼の仕事を遂行し、そしてこちらに近づいているようだ。
「そろそろ、私の番かしら?」
 さらに遠くに行くべきか、どこかに身を隠すべきか……。
「アンナ!こっちこっち!」
 身の振り方を迷っているアンナの頭上から声が降ってきた。見上げると楠に登ったエマ。
「アンナ!こっち登っておいでよ!」
 エマの声に誘われてアンナも枝に手をかける。楠は枝が横に良く伸びるので木登りに最適。それに常緑樹なので春先のまだは葉が乏しい森の中でもしっかりと身を隠せる。細い枝を折り、葉を踏みながら登ると樟脳がほんのりと香った。エマならばこんなヘマはしないだろう。そしてノーマンはこれを見逃しはしない筈だ。
 鬼ごっこに命を燃やしているエマの足を引っ張ってしまうだろうか?
 しかし、エマは嫌な顔一つせずにアンナに手を貸し、同じ枝まで引き上げる。そして、左手の人差し指を口元に、右手の人差し指を斜め下の岩へと指した。
 あ、レイ!それにコニーとリトルバニー……。
 エマの示した岩の陰にはレイとコニーが潜んでいた。時折、蝶に誘われてふらふらと歩きだすコニーをレイが引き戻している。レイは本当にコニーにこの鬼ごっこを誕生日プレゼントとして捧げるつもりらしい。

 アンナが微笑ましく思っていると隣のエマが身を固くした。エマの視線の先を追うと柔らかな色彩で織りなされる風景の中に、白い人影。ノーマンが近づいてくる。
 あたりを見回しながら歩いているということは、まだこっちに気が付いていないのだろうけれど、心臓がバクバクしてしまう。今すぐ枝から飛び降り、走って逃げたくなってしまう。というか、いつもそうやって、こらえられなくて、隠れていた場所を飛び出してしまっては捕まっているのだけれど……。
 ノーマンはエマとアンナが身を潜める楠ではなく、レイをコニーが隠れている岩の方へと進んでいった。まだどちらにも気が付いていないらしい。
 このままじゃきっとレイたちの方が先に見つかってしまうだろう。レイはコニーを連れて逃げることができるだろうか……。
「って、エマ!」
「バイバイ、アンナ!」
 アンナの横にいたエマが突如オレンジ色の髪と真っ白なスカートを翻し、楠から飛び降りて駆けだした。
 即座にノーマンが反応をし、2人のかけっこが始まる。
 エマはレイとコニーをかばったのだ。いつも比較的最初の方につかまってしまうコニーがレイに望んだことをエマも叶えようとしている。
 レイとエマは11歳。この先、コニーの里親が決まらなかったとしても、もう次のコニーの誕生日は絶対に祝えない……。
「それにしても、不思議なものね」
 上から見ていると明らかにエマの方が走るのは速い。でも、気が付くとノーマンがエマの先回りをしている。そうこうしているうちにノーマンがエマの肩をタッチしてゲームオーバー。
 エマとノーマンは毎回こんなバトルを繰り広げていたのか……。
 アンナがのんびり見物していられたのもここまでだった。春風のイタヅラで楠の葉が鼻先をチョンチョン。
「はー、はーくしょんっ!」
 やばい!
「アンナ、みーつけたっ!」
 もちろん、ノーマンが見逃してくれるはずもない。ニコニコで見上げてくる。
 ノーマンに姿を捕捉されてしまった以上、私の余命は幾ばくも無い。でも、だからといってやすやすとつかまってたまるものですか!
 アンナは覚悟を決め、枝から飛び降り、レイとコニーとリトルバニーの潜む岩から離れる方向に走り出した。
 全力で走る度にエマがかつて言っていたことを思い出す。『速く足を動かせば速く走れるのよ』まったく、エマらしくて最高だ。
 エマのように速くは走れないけれど、思いっきり走るときの胸の高揚感はいつもたまらない。追われているスリルが加われば尚のこと。
 倒木を飛び越え、椿の木に肩が当たって花を落とし、若芽が伸び出した紅葉の幹を握って方向転換。沈丁花の茂みに突っ込んで甘い香りが広がる。
 必死で走るアンナだったがノーマンにどんどんと距離を詰められ、背中に手が触れるのは時間の問題に思われた。しかし……。
「あっ、痛っ!」
 滝のように零れ咲く馬酔木の横を駆け抜けようとしたアンナだったが、右側の長いおさげが馬酔木の枝に捕まってしまった。
「痛い!痛い!え?絡んだの?」
 突如、頭皮に強い痛みを感じてアンナはパニックになった。ノーマンが掴んだ?まさか、そんなこと、彼はしない。
 振り向いて確かめてみると馬酔木の枝におさげが引っかかっていた。髪を力任せに引っ張っても白い鈴の花がポロポロと零れ落ちるだけ。
「アンナ、大丈夫?」
 ノーマンが枝から髪を外そうとするが、なかなか、うまくいかない。細い金色の髪が複雑に枝に絡みついてしまっている。
「こういうのはやっぱり女の子かなぁ?」
 一通り弄った後、ノーマンは大きく息を吸って声を張り上げた。
「エマ―!まだ近くにいるー?」
 しばらくして木々の奥から「どーしたのぉー」とエマの声が響き、ほどなくしてオレンジ頭が姿を現した。
「あらら、これは手ごわいわね……待っていて!ママ呼んで来る!」
 エマもどうすることも出来ず、ちょっと待っていてねとハウスに向かって駆けだしてしまった。
「ノーマン、私は1人でエマとママを待つからレイとコニー探してきていいよ。レイと勝負したかったんでしょ?」
 このままノーマンが動かなかったらタイムアップだ。レイとコニーだってこんな形で勝ちたかったわけではないだろう。
「ううん、アンナ、そんな必要はないよ。だって、ほら」
 アンナが髪を押さえながらノーマンが示す方向に視線を向けると、岩陰からリトルバニーを抱えたコニーがひょっこりと姿を現していた。続いて、しぶしぶといった感じでレイもついてくる。
「アンナ、大丈夫?今、取ってあげるからね!」
 コニーはトコトコと駆け寄ってくると小さな手で絡まり合った髪と馬酔木の枝を分離し始めた。
 フルスコアを誇るノーマンもエマも解くことのできなかった髪がコニーの手によってスルスルとほぐされていく。決して切ることもなく、アンナに痛みを与えることもせず。
「コニー、お前凄いんだな……」
 レイは多分、コニーがぼんやり気味でテストが苦手だから少し見下している。でも、テストの順位で人は測れない。コニーは花冠やあやとりが女の子の中で一番上手なのだ。
 以前、糸電話が流行った時も絡んでしまうとみんなコニーを頼った。アンナは少し自慢気にレイを見上げる。鼻の穴も広がっていたかもしれない。自分の手柄でもないのだけれど。
 ほどなくして馬酔木からアンナの髪を救出した。しかし、さすがにおさげは乱れきっている。
「ねぇ、アンナいい?一回やってみたかったんだ」
 コニーはそう言うとアンナの両方のおさげを解き、手櫛で整え、編みなおし始めた。明るく艶やかな髪は小さな手で軽やかにまとめられていく。
「コニー、上手だな」
 レイが褒めるとコニーはまた眉を下げてエヘヘとはにかんだ。
「レイもその前髪、三つ編みにしてあげようか?勉強教えてくれたお礼に」
 コニーの提案に、アンナとノーマンはレイの長く垂れた黒い前髪が三つ編みになっているところを想像し、同時に噴き出す。
「いいね、レイ。やって貰ったら?大好きな読書がもっと捗るんじゃない?」
 ノーマンが茶化すとレイが決まり悪そうな顔をして「遠慮しとくよ」とだけ言った。
「じゃぁさ、私、レイの誕生日にすごいプレゼントあげるね。三つ編み以外にも私、いろいろできるんだよ!」
 コニーは意気込みつつも、小さな声でテストは苦手だけど、と付け加える。
「私も素敵なプレゼントをあげるね。レイはもう11歳、次がハウスで迎える最後の誕生日だものね」
 アンナも同調し、ノーマンも頷くと、レイはいつもの皮肉の混じった、でも少し感慨深そうな顔を見せた。
「あぁ、12歳の誕生日が楽しみだよ。さぞかし派手になるだろうな……最後の誕生日だもんな」

「アンナ―!ママ連れて来たよー!」
 エマがママの手を引っ張りながら姿を現した。黒いスカートを翻して駆けつけるママの手には散髪用のハサミと櫛が握られている。
「エマもママも遅ーい!あたしがアンナ助けちゃったもんね!」
 コニーは大得意。得意過ぎて編みかけの髪を放り出し、手を腰に当ててフフン!と小さな胸を反らしたのでアンナの髪は再びバラバラになってしまった。
「あらあら、じゃぁ左側を私が編むから右側をコニー、お願いできる?」
 ママは出番のなくなったハサミをポケットにしまい、櫛でアンナの髪を手早く漉き、右半分をコニーに渡した。
するすると二本のおさげが出来上がっていく。
「アンナの髪はとっても素敵ね。触るの、大好きよ」
 ママはいつもと変わらず穏やかに微笑みながら言ったが、小さな声で『誰かのオレンジ髪みたいに変な動きしないし』と付け加えたことには誰も気が付かない。
「ふふ、私もママに触ってもらうの、大好き!だから、ここを出る時には置いて行こうかな?」
 里親が決まったら出ていく前に散髪をしてもらう子は多い。そんな時、ママは記念にと、髪を小瓶に入れて大切に保管している。
「もしもアンナが髪を置いて行ってくれるならば大切にするわ。きっと、とても長くなっているでしょうね」
 ママの言葉にアンナが素早く反応をした。
「えー、私はずっと里親が見つからないっていうの?」
 アンナはハウスが好きだ。でも、ハウスを出て色とりどりのファッションを楽しむことにも憧れている。
 振り返ってさらに言いつのろうとするアンナの頭をママが片手で器用に固定し、耳元にささやく。
「里親がいつ決まるかは私にも分からない。でも、できるだけ長く側にいて欲しいと思っているわ」
 アンナは満足して目を閉じた。
 毎日白一色の服でも、長年伸ばした髪にリボン1つ付けられなくても、ママがそう言ってくれるだけで、ここは楽園になる。

 結局この日の鬼ごっこは勝負がつかず、みんなで森を出ることになった。先頭はコニーを抱いたママ。
 その後に感想戦トークに花を咲かせながらトーマンとエマが続く。最後にあまり者同士でレイとアンナがなんとなく並んだ。
 左右で少し密度の違う編上がったばかりのおさげを弄びながらアンナは横を歩くレイを観察する。珍しく参加した鬼ごっこは楽しかっただろうか?黒く長い前髪に遮られた表情はいつもと同じく読みにくい。
「……なんだよ、アンナ。ジロジロ見て」
「え、あ、いや、その……レイの誕生日プレゼント、何がいいかなぁって思って」
「別にいいよ……あぁ、でも……」
 一瞬ぶっきらぼうな言い方をしたレイだったが、気が変わったらしく口を一旦閉じた。それから再び開き、「その時、お前とコニーがまだハウスにいてくれたら十分だ」とだけ言う。
「うん、私もレイの12歳、祝いたい」
 なんだ、不愛想なだけで、レイもハウスやみんなのこと、好きなんだね。レイへのプレゼント、あとでエマにも相談してみよう。


 11月の夜は冷える。
 最低限の明かりだけの寝室にアンナはトーマとラニオンを招き入れた。いつも一緒にふざけ合っている少年2人も今は神妙だ。
 トーマが散髪用の大きくて重いハサミを差し出す。
「アンナ、『ごめんね、こんなことさせて』ってエマからの伝言」
 冷たくずっしりとした刃物を受け取りながらエマは微笑む。
「前から決めていたことよ」
 ハウスを出る時に髪を置いていくこと、そしてレイに誕生日プレゼントを贈ること。
 もう、コニーもノーマンもレイの12歳を祝えない。だから私はその分まで祝わなければならない。それに、これからエマが捧げようとしているモノを思えば髪など、なんでもない。

 ジョキリ、ジョキリ、ジョキリ……

 思ったよりも力がいる。途中で手が痛くなってしまってラニオンに代わってもらう。
 軽くなった頭を鏡で確認することもせずに結い直し、靴紐を引き締めた。
 切り落とした長い友達はトーマとラニオンに託してアンナは、ギルダと共に年少組の誘導に取り掛かる。合図はもうすぐの筈。

 ドォォォォン!今まで経験したことのない爆発音と煙臭さ。
 さぁ、始まる。

 さようなら、大好きなハウス。
 ママ、いっぱい嘘をついてきたんだね。ここにはもう、いられない。
 でも『できるだけ長く側にいて欲しい』その言葉だけは本当だって信じている。ここは、確かに楽園だった。

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