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pixiv ショートノベルコンテスト結果発表

『雲に咲く花』

 グレイス=フィールドハウスの図書室は、部屋の壁から屋根まで本に埋め尽くされた本の森。
 まだ5歳であるエマにとって、それは圧倒的な存在だった。

「ノーマン、レイ」
 決して勉強嫌いなわけではないエマが、そんなふうに感じたのは、たまたま選んだ本の中に、自分の全く知らない世界を見つけたからだったのか。それともまだ5歳という、年長者の半分にも満たない齢が原因か。

 分からなかったが、とにかくエマは思いついて、先に6歳の誕生日を迎えた親友二人に相談した。

「空って、どうやったら飛べる?」


     * * *


「飛ぶって、飛行機みたいな乗り物に乗りたいってこと?」

 最初に答えたのはノーマン。エマたち三人は、図書室のテーブルで本を読んでいたところだった。

 ハウスの外では、バケツをひっくり返したみたいな雨が朝から降り続けている。起床して、ご飯を食べて、テストを終えても打ちつける雨音は弱まらず、いつもは明るい窓だって、今日は灰色がかかった景色だった。

 そんな日だから、普段は他の部屋より静かで、入れば不思議と忍び足になる図書室の中も、ざあざあという音が際立っていた。自由時間になってレイはこの部屋へ直行し、ノーマンとエマもそれに続いた形で、三人は、テーブルに思い思いの本を広げたのだ。

「うーん。飛行機って、空の上でも降りられる?」
「そもそも、どうして空を飛ぼうなんて思ったんだよ」
 やがて顔を上げたレイも、難しそうなタイトルの本からエマへと視線を移動させる。部屋には他の兄弟もいるため、話す声は控え目に。

「これ、見て」
 額を合わせる親友二人に向けて、エマが示したのは、自分の読んでいた本の一ページ。本には空の、というより空に浮かぶ様々な雲の写真を中心に、その雲がもたらす天候の変化、雲そのものに付けられている名前や、雲にまつわるちょっとした話が載せられている。
 つまりは雲の図鑑だった。

「……まさかお前、雲をちぎって食べてみたいとか言わないよな」
 大袈裟なくらい眉をひそめたレイの言葉に、エマは膨れっ面になった。
「レイ、私のこと何歳だと思ってるの」
「5歳」
 その通り。しかし、それから続いたレイの言葉にエマはますますカチンとくる。

「俺たちの中で一人だけ年下」
 三人の中で、エマの誕生日だけはまだ数ヵ月先のことだった。

「二人だってちょっと前まで5歳だったじゃん」
「ノーマンの誕生日からだってもう一ヵ月は過ぎただろ。俺なんて三ヵ月も年上」
「私だってすぐ追い付くし!」
「歳だけはな」
「まあまあ、二人とも」
 図書室でケンカを始めそうになった二人をやんわり制し、ノーマンはエマと、エマの本とを交互に見た。

「それでエマ、この本のどこが気になったって?」
 エマはまだ少し言い足りない気分だったが、改めて問われれば当初の目的を思い出し、テーブルに広げたページの一箇所を指す。

「この花、一緒に取りに行こう」
「花?」
 ノーマンとレイは同時に首を傾げ、エマの本を覗き込む。雲の本に、花の話が載るのだろうか。けれどその写真をよく見てみて、二人はすぐに納得した顔になった。

「雪の結晶か」
「たしかに、花みたいな形をしてるね」
「え、これ花じゃないのっ?」
 驚いたのはエマだった。テーブルに開いた本にはたしかに、6枚の直線的な透明な花弁が合わさった写真と、『雲の中で生まれる花』という見出しが添えられている。

 するとノーマンは苦笑して、レイはというと、呆れともバカにしたとも取れる溜息を吐いて頬杖をついた。

「エマ、こっちの文は読んでない? ほらここ、『雲の花の正体は、地上に降る雨と雪』って書いてある」
 ノーマンに教えられ、すぐにエマは目を通す。示された部分には、なるほどこちらもたしかに、見出しよりもずっと細かな字で、『雲の花』の詳細が記されていた。

 雲の花、もとい雪の結晶は、雲の中で成長する極小の氷。冷たい結晶が雲から落ちるとき、溶けなければ雪となり、溶ければ雨となって降り注ぐ、と。
 その文のどこにも、『花』という単語は記されていなかった。

「なんだ……」
 せっかくいいことを思いついたと喜んだのに。がっかりとエマは肩を落とした。
「つーかお前、仮にこれが本当の花だったとして、空まで飛んで取りに行きたかったのか?」
「そうだけど」
 傍観者のような目で尋ねてきたレイの言葉に、エマは下唇をぶうっと突き出した顔で答えた。

「ハウスのどこにも見たことない花だから、プレゼントしたら絶対ママが喜ぶと思ったんだ」
 もうすぐ5月。母の日にはまだちょっと遠いが、一日ごとに草木の色が輝いてくるこの季節、皆と一緒にママは楽しそうに花壇の世話をしている。見たこともない透明な花は、贈ったのなら間違いなく、大好きなママに大輪の笑顔を咲かせてくれるはずだった。
 やっぱり、諦められない。

「ねえ、花じゃなかったとしても、こんな綺麗な結晶なら、なんとか取って渡せないかな?」
「無理だね。冬ならともかく、今日だって朝からずーっと土砂降りだろ。この雨粒全部、元はその写真の花で出来てたんだぜ」
 レイが上向けた指につられて、エマも図書室の天井を見上げた。
 もちろん空は見えないが、ランプの明かりの裏側では、今も数えきれないほどの雨粒が屋根を叩いている。静かな図書室を殴りつける激しい音は、まるでハウスを呑み込もうとしているみたいにも聞こえた。

 何千、何万、ひょっとしたら何億何兆もの雲の花が、この音と共に地面に散っているのだ。雨だから、正確には雲からこぼれた時点で『花』も溶けているのだけど。

「じゃあエマ、冬になったら、雪遊びのとき探してみよう。虫眼鏡を使ったら、雪の結晶も見られると思うし」
「冬」
 まだ夏も迎えていない日に聞くと、気の遠くなる話だった。
「でも、雨も雪も元々は雲の中にあるんだよね? だったらやっぱり、空から雲の中に入って……」
「だから、その雲から出た瞬間に結晶が水になるんだって。雲の中に入れたとして、そこからどうやって『花』を持ち帰ってくるんだよ」
「どうにかする!」
「アホか」
 一蹴されたが、エマはどうしても捨てがたい気持ちで、本の中の透明な花弁を見つめていた。

 真っ直ぐ伸びた6枚の花びらは、お互いにぴったりくっついて、中央の一点を囲んでいる。それはなんだか、ママを中心に輪になったハウスの自分たちの姿にも似ていて、だからエマはこの写真と、『雲の花』という言葉を見た瞬間、絶対にママにあげたいと思ったのだ。

 花が好きなママのために、新しい花のプレゼントを。
 しかし現実は、溶けきってしまった無数の花が、今も空から屋根へ落ちるばかりだった。




--------

 翌日、すっかり晴れた青空の下、エマはハウスで一番大きな木に登っていた。

「どう、エマ? 雲は見えそう?」
「まだ分かんないー!」
 根元から声を上げるノーマンに返事しつつ、エマは頂上を目指して登る。ハウスの森の奥、周辺より少し地面の盛り上がったところに立つ木の側に、エマとノーマンは二人きりでいた。
 もちろんレイも誘ったけれど、ついさっきエマから話を聞いたレイは、心の底から呆れた顔で図書室へと行ってしまったのだ。

 絶対に無理だからやめておけ、なんて宣言もつけて。

 それでも諦めるわけにはいかない。エマがこうして木登りしているのは、昨日の『雲の花』のためだからだ。
 あの透き通る美しい花を、大好きなママにプレゼントしたい。
 もちろんエマは、雲の花が実際には『花』でないこと、その正体である雪の結晶は、冬か、結晶の生まれる雲の中でしか見られないことも学んでいる。しかし冬まで待つのは長すぎる。だったらもう、直接雲に行って取ってくるしかない。

 本当は空を飛んでいければいいと思ったのだが、物知りのレイの話によれば、人間の身体は鳥と違って、空を飛ぶようには出来ていないとのこと。ノーマンは、だったら乗り物をつくったらと提案してくれたけれど、それにも大きな仕掛けが必要で、ハウスでは到底準備出来そうもなかった。

 結局、昨晩寝る前まで唸ってエマが出した結論は、ハウスの一番大きな木を登って空に近付くということだった。
 そのため今日の自由時間、まずはハウスの二階から、最も背が高くて雲に近い木を探し、それからエマはノーマンと、森の奥にあったその場所まで一目散に駆けてきたのだった。

 レイも来ればよかったのに。
 6歳の誕生日を迎えて以来、ますます本にかじりつくようになった親友の一人は、しかし今頃図書室で本の虫をしていることだろう。

 絶対、雲の花を取って来て、レイのことも驚かせるんだ。

「落ちないよう気をつけてー!」
 決意を新たにしたエマがぐんぐん空に向かっていくうち、地上のノーマンの声は少しずつ遠のいていった。
 かわりに木の葉がエマを包み、やがてエマは、すっぽりと木の世界に入り込んだ。瑞々しく茂る葉の気配は、草の上で寝転んだときとも少し似ていた。
 でも、木の中は、お日様よりずっとひんやりしている。たまに緩やかな風が吹くと、昨日の雨の音にも似たさざめきが、木の葉と一緒にエマの癖っ毛を揺らす。
 まるでエマ自身、木の一部になったみたいに。

 ドキドキした。このまま頂上まで登れたら、雲の中にも届くだろうか。
 もしも雲を覗けたら、花まで見つけることが出来るだろうか。

 見つけたらどうやって持って帰ろう。ママはどんな顔をしてくれるだろう。レイは、どれほど驚くことだろう。
 雲の花を手に入れた後のことを想像して、夢中になって登るうち、やがて木洩れ日の光が強まってきた。

 枝の本数が少なくなって、頂上へ近付いてきたということ。エマは一気に、けれど足は踏み外さないよう注意して幹を登りきり、手頃な枝に足をかける。
 慎重に身体のバランスを取って、立ち上がった木の上で体勢を整える。するとついに、エマはてっぺんから顔を出した。

 最初に視界に映ったのは、原っぱよりも濃い緑の海。森の木々だ。
 やっぱりどの木も似たような高さで、中にいるときは特別大きく感じた木も、こうしてみると森の一部であったと知った。……どのくらい高くまで来たのかと思ったけれど、そうでもなかったのだろうか?

「エマ!」
 足元よりずっと離れた地上から、ノーマンの呼びかける声が聞こえた。
 エマが地上へ視線を下ろすと、緑の海の底で、手の平サイズのノーマンが両手を大きく掲げている。エマは片方の手でしっかり枝を握った一方、もう片方の手を振った。

「ノーマーン! もう少しだよー!」
 周りの木のせいで大したことのないよう見えていただけで、やっぱりエマは、それなりに高い場所まで登って来たのだ。自信を取り戻したところで顔を上げ、一つ深呼吸。

 いよいよだ。枝を掴む手に力を入れ、エマは、ぐるりと首を上向けた。

 空は、木のてっぺんよりさらに遠く、どこまでも高らかに広がっていた。
 視界いっぱい、抜けるような青い色。

「真っ青だ……」
 こんなに近くで見た空は、そういえば初めてだったかもしれない。エマの目は、しばらく青空に吸い込まれた。

 雨が降った翌日だからか、深く青い空の色は、いつも以上に澄み切っていた。
 トパーズの色だ。
 エマが思い出したのは、妹のギルダや、おしゃれ好きの姉たちが目を輝かせていた本の中に、これと似たきらきら青い宝石があったこと。
 黄色や赤など、様々な種類が存在するその宝石。中でも青いトパーズは、エマが今見ている空と、そっくり同じ色をしていた。

 この空が一部でも落ちてくれば、ギルダたちも喜ぶだろうに。
 エマは少し目線を下げ、森の外にあるハウスを見つめる。緑の海の向こうに建つエマたちの家。さすがにここまで離れていては、姉妹の姿は分からない。
 空を見上げていたらいいな。

「どうしたの、エマ?」
 木から動かなくなったエマを心配してか、再び地上からノーマンの声がした。
「大丈夫!」
 エマはもう一度地上に向かって手を振ると、再び空に視線を戻し、今度こそ空に浮かぶ雲を探した。
 探すといっても、雲はそもそも、探すまでもなく空の中に浮かんでいる。だからエマが探すのは、木に近くて、手を伸ばせば届きそうな雲。

 しかしそこで問題に気付いた。

「あれ、……遠い」
 ハウスの窓から見たときは、木の頂上と雲の底は、くっつきそうなほど近かったのに。ちぎったような形の雲は、今はエマの立つ場所より、もっともっと高くまで昇ってしまっていた。
 風に飛ばされたのだろうか。それなら取り戻さなければと、エマは木の中から手を伸ばす。……だめだ、届かない。指が引きつるぐらい頑張っても、小さな手は、雲との距離を知るばかり。

 これじゃあ花を持ち帰るどころか、雲の中を探すことさえ出来ない。エマはもう一歩ぶん前のめりになって、どうにか雲に近付こうとする。

「エマ、気をつけて……!」
 ノーマンが思わず声を上げたとき、ずる、と爪先の滑った感覚がして、あっという間にエマは姿勢のバランスを崩した。
 一瞬だけふわりと身体が浮いた後、急激に全身が重くなった。
「エマ!」
 頭が真っ白になった。が、細い枝の折れる音に、すぐにエマは我に返る。落ちたらダメ。エマは、反射的に縮こまっていた腕を大きく伸ばし、手の平にぶつかった枝を全力で掴み取る。
 幸運にも、エマが握りしめた枝は大きいもので、どうにかそこにしがみつくと、木の真ん中ぐらいの位置で、落下は回避することが出来た。

「あ……っぶなあー……」
 木の枝を抱きしめるようにして身体の安定を得たエマは、長い息を吐き出した。
 さすがに危なかったからか、助かってから腕が小刻みに震えている。何回か肩で息をして、木の下方を見てみれば、手の平サイズから人形くらいの大きさになったノーマンが、エマを抱きとめようとした体勢のまま地上に立ち尽くしていた。

「エマ、大丈夫っ?」
「うん……」
 あちらでやっと腕を下ろしたノーマンに続いて、エマもしがみついた枝から慎重に起き上がった。
 ばくばく心臓が鳴っている。エマは両足で枝にまたがったまま後ろに下がり、木の幹へと背を預ける。これでもう大丈夫と思えば、今度こそ安心して力が抜けた。

 しばらくこの枝で休もう。
 座った枝から改めて周囲を見回すと、木の葉の隙間から覗く森は、さっきよりだいぶ低くなっていた。

 ますます空も遠くなった。
 エマは溜息をついて、枝に足をぶらつかせた。
 せっかく頂上まで行ったのに、この木は雲に届かなかった。だったら、どうしよう。もう一度この木を登るべきか、それとも別の木を探して挑戦し直すか。だけどさっき、エマが手を伸ばした雲は、ちょっとやそっと木の高さが変わったぐらいでは、届きそうもないほど遠かった。

 もしかしてレイの言った通り、雲の花を取るなんて、絶対に無理なことなのだろうか。

「ねえノーマン、……あ」
 親友の知恵を求めて視線を地上に下ろしたとき、森に新しい人影を見つけ、エマは小さく目を見開いた。

「エマ」
「……ママ」
 ノーマンの肩を抱いた彼女の後ろには、こちらをじっと見上げるレイも一緒に現れていた。

「その様子だと、雲へ行くのは失敗したみたいね」
 ママが来たことにも驚いたが、図書室へ行ったはずのレイまでどうしてここにいるのだろう。という疑問は、ママの言葉を聞いたことで、なんとなくエマにも解くことが出来た。

「レイから聞いたの?」
 雲の花のことは、エマたち三人しか知らないこと。秘密にしてとは言わなかったが、木の上から尋ねると、レイは後ろめたそうに顔を背けた。

「あなたを心配してのことよ」
 ママはそんなレイの頭も抱き寄せ、困ったように笑って続けた。

「エマは、言い出したら聞かない性格でしょう? エマは木登りが得意だけど、そんな高くまで登って落ちたら、大怪我をするかもしれないってレイは考えたの」
 たしかにエマは木から落ちた。もしもあのとき、地面にぶつかったら大変なことになっていただろう。それでもエマは木登りしたし、レイが止めていたとしても絶対に登っていたと思う。ママに雲の花をあげたかったから。
 こうと決めたらやり通す性格のエマを止めるためには、そのママを呼んでくるしかないとレイは判断したのだ。

 だからレイは、エマたちと一緒には来なかったのか。
 ひとつ納得したところで、ママはさらに続けて言った。

「エマ。あなたが私のために、素敵なプレゼントをしようとしてくれた気持ちは嬉しいわ。でも危ないことはしないで。私は見たこともない花を貰うより、エマが笑顔でいることの方がずっと大切なの」
 諭すような声だったけど、ママが口にしたことはつまり、雲の花は諦めろということでもあった。

「どうしても、駄目?」
「冬になったら一緒に雪を観察しましょう」
 ノーマンと同じことを言う。
「……雲の花、本当にママは欲しくない?」
「エマが元気でいることが一番のプレゼントよ」
 贈りたい相手にまで断られたら、いよいよエマも引き下がるしかなかった。

「降りてらっしゃい。エマ」
 これ以上雲の花にこだわっても、きっとママは喜ばない。
「はあい」
 残念にも思いながら、素直にエマは頷いて、座っていた枝から腰を浮かせた。
 立ち上がり、もう一度だけ木の中から空を見上げる。木漏れ日の向こう側では、きらきら青い色が透けている。

 ばいばい、雲の花。冬になったらハウスに来てね。
 心の中で別れを告げ、エマは枝を離れていった。
 頂上からは既に半分ほど落ちていたため、下まで時間はかからない。登ったときと同様に、エマはすいすい地上へ近付いていく。

「ただいま、ママ」
 無事に根元まで到着したエマが、地面にすとんと降り立つと、こちらへ来たママはぎゅっとエマを抱きしめた。

「枝の折れた音が聞こえたとき、心臓が止まるかと思ったわ。大事にならなくて本当によかった」
 木よりもずっと温かくて、柔らかい腕にエマを包み込んだママが、心から安堵したように言うから、エマは少しくすぐったいのと、心配をかけた罪悪感でいっぱいになった。
 力一杯ママを抱き返し、それからちょっとだけうつむく。

「ごめんなさい、ママ。……レイもノーマンも、心配かけてごめん」
「ええ」
 優しく頭を撫でてきたママの向こう側で、レイはちらりとエマを見た後、別に、とそっぽを向き、ノーマンは、僕こそ止めるべきだったねと謝り返してきた。ちっともノーマンは悪くないのに。

「……たんこぶも出来ていないわね。木登りするのはいいけれど、もうあまり高いところまで行ってはダメよ」
「うん」
 今度は大きく頷くと、ママはエマを抱え上げ、一緒に地面から立ち上がった。

「さあ、帰りましょう」




--------

「あっ!」
 エマが明るい発見をしたのは、ママに抱えられてハウスの森を戻り、陽射しの降り注ぐ野原まで出てきたときのこと。
「ママ、止まって。いいこと思いついたの!」
「……絶対ロクなことじゃねぇ」
 ママと一緒に立ち止まった瞬間、ぼそりとレイは呟いたが、気にせずエマはママに呼びかける。

「ちょっとだけ降ろしてもらっていい?」
 不思議そうな顔でエマを見つめていたママは、すると困ったように眉をひそめた。
「ダメよ。擦り傷や打撲を、ちゃんと手当てしてからでなくちゃ」
「ちょっとだけ……、ほんとにすぐそこだから!」
「エマ、何を見つけたの?」
 気になったらしいノーマンに問われ、答えようとエマはその場所を指で示した。
「あそこにある花冠の花、たしか根元にクローバーも生えていたよね?」
「シロツメクサな」
 すかさずレイが訂正する。あの白い花に、そんな名前がついていたのか。

「もしかしてエマ、四つ葉のクローバーを探したいの?」
 クローバー、と聞いてピンと来たのはさすがノーマン。エマの指した場所を見てから尋ねてきた彼の言葉に、でも今回は少し違う、と腕を下ろしたエマは続けた。

「雲の花と、クローバーって、似ているでしょ?」
 自信満々にそう言ったから、絶対に皆感心するだろうとエマは思った。が、予想に反して、三人はきょとんとした顔になった。
 どうしてだろう。しばらくしてもそのままだったので、今度はエマが首を傾げる。

「……あれ? 形とか花びらの雰囲気とか、そっくりじゃない?」
 雲の花は直線的で、クローバーは曲線的という違いはあったが、花びらの枚数が異なる他には、中央から花弁の伸びた形も、花びら同士がぴったり寄り添った姿も、兄弟みたいに似てると思ったのだ。
 まさか三人とも、全然気付かなかったのだろうか。エマが何度となく目を瞬かせたとき、「ぷっ」とレイが吹き出した。

「ちょっと、レイ、なんで笑うの」
 エマは抗議の目を向けたが、くつくつ肩を震わせたレイは、やがて意地悪っぽくふんぞり返ってからエマに答えを寄越した。
「そもそも、お前が思ってるクローバーはただの葉っぱ。花は花冠に使ってる部分のことで、葉っぱの方は花じゃねーよ」
「えっ」
 エマは大いに驚いた。
 クローバーの花が花冠の花であることも初めて知ったが、それより聞き捨てならないこともあった。

「だけど私、この間、四つ葉の花言葉を教えてもらったよ」
 女子たちで花冠をつくっていたとき、生えているクローバーを見て年上の姉が教えてくれたのだ。
「四つ葉って、クローバーのあの葉っぱでしょ? 花じゃないなら、『花』言葉だってないはずじゃん」
 緑色のクローバーは、花と呼ぶにはなんだか地味にも感じたけれど、姉は嘘をつくような人ではない。だからエマは、その日からクローバーも花の仲間だと思うようになっていた。

「エマ、花言葉があることと、草花の分類は別のものだよ」
「どうして?」
 ノーマンの説明にも納得出来ず、エマはなおさら首をひねった。

「クローバーの言葉はね、花言葉よりももっと特別なものなの」
 最後にママが口を開くと、エマたち三人はママの方へと注目した。
「レイの言った通り、クローバーのあの部分は花じゃないわ。でも四つ葉はとても珍しいものだから、葉っぱの方にも特別に名前をつけることにしたの。タンポポやマーガレットの葉っぱには、言葉なんてないでしょう?」
 たしかにその通りだ。
「じゃあ、クローバーって、すごいんだ」
 四つ葉のクローバーの『花』言葉は、幸福。もしかしたらそれは、貴重な存在を見つけるという幸運自体を示した言葉であるのかもしれない。

「そうね」
 やっとエマが受け入れると、頷いたママも笑みを返した。
 それからエマは考える。そんなにすごい花、じゃなかった、クローバーなら、やっぱり雲の花に負けず劣らず、素晴らしいプレゼントになるのではないか。
 雲の花は冬まで待たなければいけないけれど、クローバーなら今すぐ探すことが出来る。

「ねえママ、やっぱり私、クローバーを探したい」
「ダメよ。今日は手当てするのが先」
 するとママは、もうクローバーは見せまいとエマをぎゅっと抱え込み、さっきよりも早足で野原を歩き出した。
「僕が見つけて来ようか?」
 小走りでママの前に出てきて声を上げたノーマンの言葉を、エマは嬉しくも思ったけれど、それじゃあ何か違うと感じて首を振る。贈り物を探すのに、任せきりとはいかがなものか。

「んじゃ、明日になったら探しに行こうぜ」
 珍しくレイが提案したのは、ひょっとして今日、エマたちと一緒に行かなかった罪滅ぼしもあったのだろうか。
「雲の花を探すよりは、よっぽど現実的だと思うし」
「ああ、そうかエマ、さっき雲の花とクローバーが似てるって言ったね」
 最初の話に戻ってきて、合点のいったノーマンが成る程と頷いた。

「どっちも花じゃねーけどな」
 同じく思い出したらしいレイに笑われると、エマはむうっとして言い返すための材料を探す。ノーマンはひたすら優しいのに、どうしてレイは意地悪なことを言うのだろう。

「そういえば、四つ葉のクローバーって、花びら、じゃなかった、葉っぱの一枚一枚にも意味があるんだって」
 エマが思いついたのは、姉に教えられた『花』言葉の続きだ。

「あら、エマ、よく知ってるわね」
 ママに褒められるとますますエマは得意になり、鼻を高くして解説した。
「うん。一枚はクローバーそのものと同じ『幸福』で、あとの三枚は希望と、愛情と、信仰。信仰って、絶対に信じて疑わないって意味なんだって。四つ葉のクローバーを見つけたら、レイには『信仰』の葉っぱをあげる」
「なんでだよ」
 すかさず聞き返したレイは怪訝そうな顔をしたが、ふふん、とエマは鼻を鳴らした。

「だってレイ、すぐに意地悪なこと言うし、人のことからかったりするから。クローバーの葉っぱを持ったら、少しは誠実な人になれるんじゃない?」
「……お前」
 ぐぐぐっとレイは眉根を寄せ、今日一番難しい顔をしたが、エマは勝ち誇った気分になって、つんと顎を上向けてみせた。
 まいったか。
「じゃあエマ、僕にはどの葉っぱをくれる?」
 くすくす笑ったノーマンに質問され、今度は真面目に考える。ノーマンには、特に足りない部分はないようにも思うけれど。

「『幸福』かな? ノーマンすぐに風邪を引くし、いいことが沢山あるように」
「素敵なアイデアね、エマ」
 ノーマンが嬉しそうに笑ったのを見て、ママも温かく目を細めた。

「でもこれだと、ママにはどっちをあげるか迷っちゃう。希望ってよく分からないし、愛情はママたっぷりだし」
「エマにはどっちの葉が合ってるかで考えたら?」
 ノーマンはそうアドバイスしたが、それはそれで、ママだけ余り物になったみたいだ。

「だったら、エマ、明日クローバーが見つかったら、どっちをくれるのか楽しみにしているわ」
 ママが話を切り上げたのは、エマが悩んでいるうちに、いつの間にハウスまで到着していたからだった。
 年上の兄姉たちも、年下の妹弟も、エマを抱えたママの姿を見つけると、心配そうに駆け寄ってくる。エマのことを心配したり、何があったのか尋ねたり。

 あちこちから集まってくる兄弟たちに、歩きながらママは優しく受け答えする。誰に対しても平等に、包み込むような笑顔を向ければ、最初は不安げだった皆の顔も、少しずつ柔らかになっていった。

 やっぱり、ママには『愛情』が似合う。
 そうなると残されたのは『希望』の葉。希望とは、何かを望むとか願うとか、そういう意味の言葉である。エマがよく分からないと感じたのは、ハウスで暮らす今はとても幸せで、叶えたい願いというのが特にピンと来ないからだった。

 ハウスを出てやってみたいこと(キリンに乗るとか)ならあるけれど、エマにとってそれは鬼ごっこで一番になるとか、寝るときに楽しい夢を見たいとかと同じことで、希望と呼ぶには違う気がした。雲の花を贈るという目標も、冬になったら叶うことだし。

 結局、その日エマが答えを得ることは出来なかったが、愛情も幸福も、そして多分、信仰も、これ以上ないくらい三人にぴったり合ったのだ。残された最後の一枚も、いつかきっとエマに似合うときが来るのだろう。

 希望という、その言葉が。




END

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